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金山寺とはいったいいかなるお寺なのか、ご存知だろうか。今を去ること800年、揚子江中流域に存在した、平和的武闘派の僧侶たちが集った一群の僧門を語る総称である。
約10の塔中に分かれた金山寺一門は、当時敵対していた西京寺派との戦に明け暮れており、川辺には巨大な軍港が築かれ、僧兵だけで100人以上も乗れる巨大な軍艦が停泊していたという。
対立のその端緒となった事件は、それから約200年をさかのぼる。
金山寺の開祖・宋彌は、揚子江下流域に肥沃な土地に住む農民であった。しかし当時10年以上にわたって続いて大洪水に村民ごと、土地を捨てることを決意。長江を遡り内江の地までたどり着いた。
四川盆地・重慶の北西に当たる地である。楼山山脈と大巴山脈に挟まれた四川盆地は、当時の中国にとっては僻遠の地であった。
宋彌一行は、早速そこで開拓を開始した。
降雨の少ない夏と、厳冬の冬に悩まされはしたものの、長江の恵みは豊かで、水不足や洪水などといった苦労少ない地であった。
主な食料は稗、陸稲、豆類と魚や熊猫の肉、種類こそ豊かとはいえないが、満ち足りた食料に恵まれ一族は徐々にその数を増やしていった。
唯一つの問題は、冬の寒さである。
-20度を超える厳冬期、保存食料がなくては生きてゆけない。
そこで、宋彌がとった行動とは、1000年後の私たちが見ても、まさに驚くべき「秘儀」であった。  (つづく)
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